自動車業界が直面しているのは、新たな規制が1つ導入されるという状況ではありません。複数の市場で、重複する要件を含むさまざまな規制が相次いで導入されています。そのなかには、トレーサビリティやデジタルプロダクトパスポート(DPP)を求めるものもあり、2026年から2032年にかけて順次適用される予定です。
対象範囲も、適用時期も、それぞれ異なります。しかし、サプライチェーンに求めているものには共通点があります。それは、製品に何が使われているのか、どこから調達されたのか、どのような加工を経たのかを示す、構造化され、検証可能なデータです。
多くの企業では現在も、各規制を個別のプロジェクトとして対応しています。担当チームも、データ収集も、スケジュールも別々です。対応すべき義務が1つか2つであれば、この方法でも機能していました。しかし、複数の規制が短期間に相次いで適用され、それぞれが同じサプライヤーに対して、重複しながらも完全には一致しない情報を求めるようになれば、このアプローチでは対応しきれません。
本稿では、どの規制がどのように重なり合い、いつ適用されるのかを整理するとともに、その根底にあるデータ対応の課題が、個々の規制だけでは捉えきれないほど大きなものである理由を解説します。
何が重なり、いつ適用されるのか
EUでは、自動車メーカー、バッテリーメーカー、およびそのサプライチェーンに直接影響する複数の規制が導入されています。それぞれが対象とするテーマは異なります。排出量の透明性、バッテリーのサステナビリティ、重要原材料の安定確保、使用済み自動車のサーキュラリティ、責任ある調達などです。
しかし、いずれの規制も、最終的には同じオペレーション上の課題に行き着きます。それは、複数階層にわたるサプライヤーから、検証済みのデータをどのように収集するかという問題です。
以下の表では、各規制の適用スケジュールを整理しています。
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その根底にあるパターン:1つのデータ課題に、複数の規制上の名称
これらの規制をまとめて見ると、個別に独立した要件の集合というより、相互に連携する一つの規制体系を形成していることが分かります。複数の規制が共通するデータフロー、サプライヤーからの情報、検証の仕組みを基盤としており、サプライチェーンデータを一元的・統合的に管理する必要性を高めています。
規制上の入り口はそれぞれ異なりますが、実務を支える基盤は共通しています。政策上の表現を取り除いて見てみると、求められていることは非常によく似ています。
- サプライヤーから、材料、部品、加工工程に関する構造化されたデータを収集する
- 直接のサプライヤーだけでなく、原材料の調達元まで、複数階層にわたってデータを追跡する
- 第三者監査やデジタル検証の仕組みを通じてデータを検証する
- 標準化された機械可読形式でデータを報告・開示する
呼び方は異なります。「パスポート」「デューデリジェンス」「トレーサビリティ」「適合宣言」などです。しかし、その根底にある要件は同じです。原材料の採掘から完成車に至るまで、信頼性が高く、構造化されたデータの履歴をつなげることです。
主な違いは、求められるデータの深さにあります。パスポートに関する要件では、主に完成品や部品に関するデータが求められます。一方、デューデリジェンスではさらに踏み込み、鉱山、精錬所、そしてその間にあるすべての加工工程からエビデンスを取得することが求められます。
しかし、そのデータを収集し、検証し、構造化するための基盤は同じです。これらの規制については、本シリーズの後続記事でそれぞれ詳しく解説します。
多くの企業は、まだこの規制の収束に気づいていません。現在も各規制を、それぞれ独立したコンプライアンス対応として進めています。その結果、同じサプライヤーに対して数年のうちに複数の規制への対応を求めることになり、データ収集の重複や不整合が生じ、多くの工数が無駄になっています。
1台の車両に、複数のパスポート
この課題の規模は、1つの製品に着目すると明確になります。
たとえば、2027年以降にEUで販売されるバッテリー電気自動車(BEV)を考えてみましょう。この1台の車両に対して、次のような対応が必要になる可能性があります。
- トラクションバッテリーを対象とする「バッテリーパスポート」。セルの化学組成、調達元、カーボンフットプリント、再生材含有率などの情報を対象とします(EUバッテリー規則)
- 排出性能、エネルギー消費量、耐久性に関するデータを含む「Environmental Vehicle Passport(EVP)」(EURO 7)
- 電動モーターなどに使用される永久磁石を対象とする重要原材料(CRM)のトレーサビリティシステム。レアアース元素を原料の供給元まで追跡し、再生材の使用状況も報告します(重要原材料法)
- バッテリーに含まれるコバルト、リチウム、ニッケル、天然黒鉛を対象とするサプライチェーン・デューデリジェンス報告(EUバッテリー規則 第39条)
- 将来的には、車両全体の材料組成、リサイクル可能性、使用済み段階での処理を対象とする「デジタル・サーキュラリティ・ビークル・パスポート(DCVP)」(ELV規則)
- 持続可能な製品のためのエコデザイン規則(ESPR)の対象となる可能性がある部品については、部品単位のパスポート
これらは、同じデータを異なる形式に置き換えているだけではありません。各規制は、サプライチェーンの異なる部分から、異なる粒度で、異なるデータ項目を求めています。バッテリーパスポートではセルレベルの組成データが必要です。重要原材料(CRM)に関するラベルでは、自動車部品に使用される永久磁石について、レアアースの原産地を追跡し、再生材の使用状況も把握する必要があります。EVPでは、車両全体の環境性能に関する指標が求められます。デューデリジェンス報告では、鉱山などの上流工程におけるリスク評価が必要です。
関係するサプライヤーには重複がありますが、完全に同じではありません。データ要件にも重複する部分はありますが、きれいに一致するわけではありません。各規制には、それぞれ異なる報告形式、検証要件、更新サイクルがあります。
これらを一つずつ個別に対応しようとすれば、複数のデータプログラムを並行して運用することになります。同じサプライヤーに対して、重複しながらも少しずつ異なる情報を何度も依頼し、その結果、相互運用できないデータや成果物を作ることになります。
コストがかかります。時間もかかります。そして、監査で問題になるようなデータの不整合も生じます。
より合理的なのは、必要となる成果物は異なっていても、その多くが共通するサプライチェーンデータを基盤としていることを認識することです。データを一度収集し、適切に構造化したうえで、必要なコンプライアンス対応に応じて振り分ければよいのです。
本当のボトルネックは政策ではなく、データ
多くの自動車企業は、規制が何を求めているのかを理解しています。課題は規制を理解することではなく、それに対応するための実務的なインフラを構築することです。
現在も、自動車業界におけるサプライヤーデータ収集の標準的な手段は、依然としてアンケートです。ティア1サプライヤーにスプレッドシートを送り、材料の原産地や組成について自己申告してもらう方法です。しかし、この方法には3つの問題があり、規制対応の負荷が高まるほど、その問題は深刻になります。
「十分な深さまで届かない」
複数の規制では、原材料の供給元からデータを取得することが求められます。こうした事業者は通常、ティア3、ティア4、あるいはそれより上流に位置しています。一方、多くの企業が把握できているのは、ティア1より先のサプライチェーンのほんの一部です。
たとえば、バッテリーセルを組み立てるサプライヤーが、正極材メーカーがどこからニッケルを調達しているのかを把握していないケースがあります。たとえ上流にそのデータが存在していたとしても、構造化され、検証可能な形式で下流まで共有されることはほとんどありません。
「規模を拡大できない」
複数の規制に対応するため、複数の製品ラインにまたがる数百社のサプライヤーからデータを収集する必要が生じれば、手作業によるアンケートは機能しなくなります。規制ごとに求められる情報や形式が少しずつ異なるため、同じサプライヤーに重複した依頼をすることになり、サプライヤーの負担が増えるとともに、収集データにもばらつきが生じます。
自動車業界で導入が進む新たな「デューデリジェンス報告テンプレート(DDRT)」は、この課題を標準化によって解決しようとする取り組みの一つです。しかし、標準化されたテンプレートであっても、大量のデータを処理するにはデジタルインフラが必要です。
「機密性を守れない」
グローバルなサプライチェーンに属するサプライヤー、特にデータ共有の仕組みが十分に整備されていない地域のサプライヤーは、調達先や加工工程に関する詳細なデータの共有に慎重になることがあります。
知的財産、競争上のポジション、営業上の機密情報に関する懸念は、サプライチェーンの透明性を阻む要因として以前から指摘されています。規制対応に必要な情報は共有しつつ、営業上機密性の高い情報は保護できる仕組みがなければ、データ収集の取り組みは行き詰まってしまいます。
データドリブンなアプローチに必要なもの
規制が構造化されたサプライヤーデータを求める一方で、手作業による対応では追いつかないとすれば、現代のサプライチェーンにはどのようなアプローチが必要なのでしょうか。
自動車サプライチェーンのトレーサビリティに関するさまざまな取り組みを見ていくと、共通して必要となる4つの要素があります。
ティア1の申告だけではなく、N-tierの可視化
デューデリジェンス、バッテリーパスポート、CRMラベル。これらはいずれも、直接のサプライヤーだけでなく、原材料の供給元からのデータを必要とします。
そのためには、サプライチェーンの各階層を通じてデータ収集を連鎖させる仕組みが必要です。データ収集の依頼をサプライチェーンの各階層へ順次展開し、それぞれのサプライヤーが自社の情報を追加したうえで、次のサプライヤーへ引き渡していく仕組みです。
Porscheは、Circulariseと連携し、データのプライバシーを維持しながら、複数のサプライヤー階層をまたいでプラスチックのトレーサビリティを実現することで、このアプローチを実際に導入しています。
必要なのは、規制上「求められている」だけの仕組みではなく、それを実際の業務として運用できるデジタル基盤です。
機密性を保護したデータ共有
サプライヤーは、自社の機密情報が競合他社や下流の顧客から見られる可能性があると考えれば、データを共有しようとはしません。
この規制環境に対応するシステムには、きめ細かなアクセス制御が必要です。サプライヤーは、コンプライアンスや監査に必要な情報だけを共有し、それ以上の情報を開示する必要はありません。
価格情報、取引量、独自の加工工程に関する情報などを外部に漏らすことなく、必要なデータだけを共有できる仕組みが求められます。特にデータ保護への懸念が強い地域のサプライヤーからデータを収集する場合、こうした仕組みが「データを取得できるか、まったく取得できないか」を左右することもあります。
コンプライアンス対応をつなぐデータ基盤
1台の電気自動車には、部品レベルのデジタルバッテリーパスポート(DBP)から、より広範な車両レベルのパスポートまで、複数の相互に関連するパスポートが必要になる可能性があります。
DPPの種類ごとに別々のシステムを構築すると、データがサイロ化し、作業が重複するだけでなく、各種規制への報告内容の整合性を維持することが大幅に難しくなります。
サプライチェーンから収集したデータは、単一の連携された基盤から、これらすべての成果物に直接反映できるようにするべきです。デューデリジェンス報告も同様です。
複数のコンプライアンス対応を一つの基盤で支える統合的なアプローチにより、より一貫性があり、監査にも対応しやすい成果物を作成できます。同時に、自社のチームとサプライヤー双方の負担も軽減できます。
手作業ではなく、デジタルインフラを
アンケートやスプレッドシートでは、自動車サプライチェーンに求められる規模のコンプライアンス対応を支えることはできません。
企業には、サプライヤーからのデータ収集を自動化し、受け取ったデータを検証し、改ざんできない監査証跡を維持し、複数の規制に対応したレポートを同時に生成できる、専用のサプライヤーデータ収集基盤が必要です。
コンプライアンスの先にあるビジネス機会
この規制環境を見ていると、コストや複雑さばかりに目が向きがちです。しかし、別の捉え方もできます。
今、サプライチェーンのデータ基盤に投資する企業は、単にコンプライアンス上の要件を満たしているだけではありません。実際のビジネス価値につながる能力を構築しているのです。
- デジタル化の加速
サプライヤーデータを収集し、構造化することで、サプライチェーン全体のデジタル化を加速できます。同じ基盤を、調達、品質管理、製品開発など、規制が求める範囲を超えた意思決定にも活用できます。 - 既存データから新たな価値を生み出す
構造化されたサプライチェーンデータがデジタルシステム上で蓄積されれば、規制報告以外にも活用できます。カーボンフットプリントの最適化、サプライチェーンのレジリエンス強化、サプライヤーのベンチマーキング、材料代替の分析、サーキュラーなビジネスモデルの構築などが可能になります。 - 顧客との関係を強化する
OEMやティア1サプライヤーが、検証済みで透明性の高いサプライチェーンを示すことができれば、自己申告に依存する競合他社にはない信頼と顧客ロイヤルティを築くことができます。トレーサビリティは、単なる規制対応ではなく、競争上の差別化要因になりつつあります。
規制によって対応が義務付けられます。しかし、そのために必要となるデータ基盤は、長期的な業務価値を生み出す基盤にもなります。
これからの展望
2026年のサプライチェーンにおけるコンプライアンス対応は、もはや一つずつ規制をクリアしていくことではありません。
規制が収束していくことで、今データ基盤に投資すれば、バッテリーパスポート、車両パスポート、CRMトレーサビリティ、材料申告、デューデリジェンス報告、サーキュラリティに関する義務など、複数の要件にまとめて備えることができます。
名称は異なります。適用時期も異なります。規制が生まれた背景も異なります。しかし、その根底にある要求は同じです。
企業がこのことに早く気づけば、それだけ早くサイロ化された個別対応から脱却し、長期的に活用できる基盤の構築へと移行できます。
Circulariseでは、自動車サプライチェーン全体のトレーサビリティを支える一つのプラットフォームを提供しています。OEMやサプライヤーが複数の階層にわたって検証済みデータを収集し、選択的開示によって営業上機密性の高い情報を保護しながら、そのデータを規制対応の成果物へ直接つなげられるよう支援しています。
バッテリーパスポート、CRMに関する開示、デューデリジェンス報告、車両パスポート。一度のデータ収集プロセスから、複数のコンプライアンス対応へつなげることができます。
一度構築すれば、新しい規制が導入されるたびにゼロから作り直す必要はありません。
本シリーズの次回以降の記事では、重要原材料法(Critical Raw Materials Act)とCRMパスポートについて取り上げ、その後、バッテリー規則におけるデューデリジェンス、さらにELV規則について詳しく解説します。
